やっかいな承認欲求との付き合い方

「みんなから認められたい」「わたしを見てほしい」「褒めてほしい」そんな風に思うことがあります。

人間の三大欲求に並ぶ、承認欲求です。

承認欲求というのは、「他人から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求です。

わたしにとって承認欲求は、「毒」にも「薬」にもなるものだと思っています。

承認欲求があるから、頑張れることがあります。たとえばマラソンは、沿道で応援してくれる人達の声が、ランナーの承認欲求をかり立ててくれます。

1人だとリタイアしそうでも、声援が後押ししてくれたおかげで、ゴールできたという話はよく聞きます。

しかし承認欲求が強くなってくると、他人を羨んだり、自分責めを始めます。

「こんなに頑張ってるのに、あの人だけ評価されて悔しい」

「こんなに頑張ってるのに、誰にも認めてもらえない。私はなんて無力なの」

どうやったら認めてもらえるか、顔色を伺いながら他人の価値観で生きてしまいます。

強すぎると毒になり、弱すぎても自己成長がありません。バランスの問題です。

承認欲求のバランスを整えるためにやっていることは、自分のことを全て認めてあげる。です。

この言葉、口で言うのはものすご〜〜く簡単ですが、肚落ちするまでにとても時間がかかりました。

自分を全部認めるってどういうこと?

そもそも自分を認めてなかったの?

数ヶ月、そんな自問自答を繰り返しながら“どういうことだろう“と考え続けました。

そこで、自分で認めている自分と、認めていない自分を書き出してみました。

認めている自分
  • 好奇心がある
  • 集中力がある
  • アイデアを形にするのが好き
  • 人の役に立つのが好き
認めていない自分
  • 学歴がない
  • 気持ちが揺らぎやすい
  • 疲れやすい
  • 物事が続かない

そっか。

認めていない自分を隠して、認めている自分だけを見せて生きたいと思っているんだな。

認めている部分がなくなると、嫌われるかもしれない。必要とされないかもしれない。と、認めている方の自分で踏ん張っていたと気がつきました。

心が弱っている時、認めてない方の自分が大きく顔を出してくる。だから自信がある時とない時の差が激しかったのです。

イヤなところ、ダメなところ、できないところもグルッと全部まとめて「素敵なわたし」ってことにする!

そんな風に思うようになると、ダメなところをオープンにしても、周りから嫌われないことに気づきました。

「認められている方の自分がいなくなっても大丈夫なんだ」って思えるようになってくると、自然体でいれるようになりました。

ポンコツな自分も人間らしくていいやん!よく頑張ってきたよ!

「これがわたし、これでいいのだ!」

引用;赤塚不二夫

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