イヤな現実を呼び寄せる、正体

今の現実は自分が呼び寄せている。

今が思っていない現実であるなら、「この現実だと助かることは何か、この現実がなくなると困ることは何か?」を考えてみると、思い込みのブロックが見つかるかもしれません。

これは、幼少期の思い込みを引きずっている場合が多いと感じます。

幼いころから共働きの我が家では、母を独り占めできるのは、保育園の送り迎えの時間だけ。

保育園の帰り道、母にいっぱい話をします。

楽しく遊んだことより、いじめられたこと、無視されたこと、いやだったことを伝えたときの方が母の反応はよく、たくさん話を聞いてくれました。

その時、「そっか、お母さんは私が不幸だとかまってくれるんだ」という、概念が出来上がりました。

そこから、いじめられる現実、無視される現実、いやなことをされる現実を自分で作り出していきました。

すべては母の関心を独り占めしたいという、独占欲から

それを、大人になってもずっと続けていました。

その思い込みに気づいたとき、それって今も本当?って聞いてみると、

「わたしが辛い思いをするのは、母を悲しませることなんじゃない?」

「悲しませて、心配かけるのは本当にしたいこと?」

「独占欲で悲しませるのってダサくない?」

そして、「わたしが楽しんでいる方が喜んでくれる。もう、苦しまなくていいんだよ」という言葉が出てきたのです。

子供のころからの捻じれた思考がほどけた時、わたしが幸せな時も、つらい時も変わらず愛情をもって接してくれていたことを思い出しました。

すべては思い込み。不幸だとかまってくれるという、自分が作り出した壮大な誤解の中でもがき苦しんでいました。

わたしが不幸だと母がかまってくれる→わたしが喜ぶとみんな喜ぶへ書き換え完了◎

子供のころの思い込みは、大人になっても続いちゃうもの。

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