真面目な人ほど「人を嫌ってはいけない」「誰にでもいいところがあるはず」と、その人の中にあるキラキラな部分を見つけようします。
以前は、人を嫌ってはいけないし、人から嫌われたくないと思っていました。
実際はその人が嫌いというより、人を嫌っている自分がイヤだったのだと思います。
人を嫌いになる、醜い心を自分で認めたくなかったのです。
しかし、人を嫌いになるのは醜いことではない。自分を害するものから守るための心のセンサーなんだと思うようになってから、人を嫌いになることにOKが出せるようになりました。
害を(精神的なものも含めて)与えてくる人からは、さっさと離れるようにします。
離れることが無理な場合でも極力、近寄らないようにします。
「一層のこと、嫌われますよーに」と短冊にお願いします。
嫌いな人に時間を割くより、自分のことや好きな人のために、時間や労力を使った方が幸せです!
これは、人だけではなく嫌な事柄でも同じではないでしょうか。
嫌いなことに時間をさくより、好きなことで貢献する!
わたしは仕事の中で電話が一番不得意です。
電話がかかってきても3回に1回は無視します。仕事をしている以上、全く取らないということはできませんが、極力離れるようにしています。
その代わり、自分の得意な分野で精一杯実力を発揮して、少しでも周りの役に立てるように頑張っています。
今までは、好きなことや好きな人の中で生きたいと思いながら、嫌いなことや嫌いな人の中で我慢しながら生きていました。
寂しいから、嫌われたくないから、社会人だからという理由に縛られて、自分を不自由にしていました。
「人を嫌ってもいい。人から嫌われてもいい」そう思っていたら、自然と周囲には好きな人ばかりになっていました。
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