苦しみの真っ只にいる時、どんな言葉も耳に入ってきません。
たとえ正論で、正しいと分かっていても、素直に受け取れない時があります。
「もっと苦しい人は世の中にいるよ!だからあなたは全然大丈夫!」と、言われても、辛いだけ。
先日、友達の子供が登校拒否になったという話を聞いたとき、わたしは「学校に行かなくても、健康やったらいいやん!」なんて、まさに正論な言葉をかけてしまいました。
それは、本心でもあり、勇気づけたくて言った言葉でもあります。
だけど、実際苦しみの渦中にいる人にとって、それは、余計苦しいだけだということを知りました。
そう思えたのは、失敗が続いて落ち込んでいた時に、「失敗したではなく、ナイストライ!」と、捉え方を変えようとしましたが、いきなりは全く思えませんでした。
思えないどころか、さらに苦しくなりました。
「なぜだろう…?いつもは勇気づけられるのになぁ…」
そして、気づきました。そこには「大きな悲しみがある」ということに。
悲しみの奥には「こんな風になりたかった…」という意欲があります。その意欲が大きいほど、強い悲しみに襲われていたのです。
まずは、その悲しみを癒してからでないと、捉え方を変えることはできません。
それからは「悲しいかったね、辛かったね、よく頑張ったね」と、苦しい気持ち思が出てくるたびに何度も繰り返しました。
そして時間と共に、悲しみが少しずつ癒えてきたら「よく頑張ったね、ナイストライ!」「挑戦できてスゴイ!」という風に、少しずつ言葉を変えてみました。
グラデーションのように少しずつ、言葉を変化させていったのです。
すると、気づけば悲しみも癒え、また前向きにチャレンジしてみようという気持ちになってきました。
勇気づけが上手くいかないときは、まず、寄り添うことから始めると上手くいくかもしれません◎
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