罪悪感の正体と、手放す方法

休みを取ることへの罪悪感

働いていないことへの罪悪感

結婚していないことへの罪悪感

誰かに迷惑をかけていないことでも、なぜか申し訳ない気持ちになる。

他人や社会の価値観が、いつしか自分の固定概念になっていませんか?

他人や社会の価値観にガチガチに縛られて、生きづらくなっていませんか?

わたしは、他人から「何で結婚しないの?」「何で働かないの?」「毎日何してるの?」と言われたことがあります。

その度に、「どうしよう、なんて言おう?」と思いながら、「なんで自分は皆と同じようにできないんだろう?」「皆は頑張ってるのに、申し訳ないな」という気持ちになっていました。

適当に理由をつけてその場をしのいでいましたが、その都度、「自分ってダメだなぁ」「ちゃんとしないと、いけないなぁ」という、自分責めが始まります。

言われた言葉を頭の中でリフレインされて、どっぷりと落ちていくのです…。

自分を苦しめる「罪悪感の正体」って、いったい何なんだろう?

それは、他人や社会のルール(価値観)がいつしか自分の固定概念となって、はみ出したことをすると罪を犯した気持ちになることではないでしょうか。

海外に目を向ければ、1ヵ月近く休みを取るのは当たり前、電車は遅れてくるのが当たり前、お昼は2~3時間昼寝するのが当たり前など、日本人のわたしにとって、どれも全く違った価値観です。

それを否定的に思ったり、同じようにできていない自分を罰したりはしませんよね。

それなのに、同じ国に暮らしているというだけで、皆と同じでないとダメというのはおかしいです。

「郷に入っては郷に従え」という諺は、その土地の風習や習慣に従うべきという意味ですが、決して個人の価値観を押し付けてくるものではないと思います。

「何で結婚しないの?」と言う人は、結婚することが当たり前だと思っているから、聞いてくるんです。

「何で働かないの?」と言う人は、働くことが当たり前だと思っているから、聞いてくるんです。

悪気があるのでも、押し付けているのでもなく、自分の価値観に沿っていないから不思議なんだと思います。

だから、そんな言葉にいちいち反応しないで、心の中で、「あなたは、そう思うんですね」「そういう価値観で生きているんですね」と呟いてみます。

その人のルールを否定するのでもなく、自分を否定するのでもなく、まったく別の土地で全く違う環境で育った外国の人の話を聞くように、「へ~、そういう文化なんですね」という感じです。

同じ言葉を話していても、同じ国で暮らしていても、価値観は違っていいのではないでしょうか?

そう思うだけで、グンと罪悪感が減ります。

迷惑をかけないことであれば、自分流のルールがあってもいい!

「へ~、あなたはそう思うのね」で、冤罪から解放されましょう!

皆ちがって、皆いい!

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