素敵な人と出逢ったら、嬉しい!素敵!と思う反面、それに比べてわたしは・・と、なぜ人は落ち込んでしまうのでしょう。
素敵な人に出逢ったのに、自分いじめを始めてしまいます。
ここで突然ですが、ゼロサム思考という言葉をご存じでしょうか。
ゼロサム思考(zero-sum thinking)とは、物事を白黒(0か100か)で判断したり選択肢を極端な2択に絞り込んだりしてしまう思考のこと。「ゼロサム・バイアス (zero-sum bias)」。
引用:シマウマ用語集
- 1人が得をすると、もう1人が損する。
- 相手の評価が上がると、こちらの評価が下がる。
という考え方です。1つしかないものを取り合う構図で、必ず損得が発生するのです。
誰かがわたしの幸せを奪っていく感覚になり、相手の幸せを心から喜べなくなります。
いつ奪われるかもしれない幸せは、本当に必要でしょうか。
もう少しゼロサム思考を深掘りましょう。
今から800年〜900年前というと平安〜鎌倉時代でしょうか。
時代劇を見ていると、武家であっても、寒くてもいつも裸足。板の間で生活し、風が強く吹けば扉がガタガタとなります。もちろん窓ガラスもなく、夜は真っ暗です。
食べるものは質素で、日照りが続いて食べ物が取れないなんていうセリフもあります。
時の権力者ですら、そんな生活を送っているのに、いまblogを見ているほとんどの方は、自分専用の携帯やパソコンを持っていて、寒さや飢えに苦しんだ生活を送っている人は少ないのではないでしょうか。
今のわたしたちは、当時の権力者より何百倍も便利で幸せな暮らしをしているのに、どういうわけか、日々の暮らしに“不足感“を感じています。
なぜでしょう?
それは周りと比較して、足りないものを自ら探しているからです。
誰かと比較をして、自分の足りないところを探してたら、幸せは見つかりません。
相手が幸せだとこちらが不幸というのは、ゼロサム思考です。
素敵な人は世の中にたくさんいるので、比較をしている限り永遠に自分をいじめているようなものです。
しかし、誰かの素敵に気づけるというのは、気づける自分も素敵ということではないでしょうか。
自分の素敵に目を向けることができず、相手のいいところばっかり見えた時はこう言ってみます。
「彼女も素敵、それを見つけたわたし もっと素敵!」
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